小幡春生(おばたしゅんせい)
という画家は、多くの天才と呼ばれる芸術家たちがそうであったように、少年時代から個性的な性格を持ち、技術にその片鱗を見せている。その生い立ちを追いながら春生の人となりを覗いてみよう。
1920年(大正 9年).千葉県香取郡大須賀村(後・大栄町、現・成田市)に生まれる
1937年(昭和12年).陸軍中野学校へ入る
1945年(昭和20年).シベリア抑留(ハルピン,サマルカンド)
抑留中にロシアのレーピン美術館所蔵作品を模写、モスクワ大学で教鞭を執る。
1952年(昭和27年).帰国
1955年(昭和30年).結婚
1971年(昭和46年).「PTAよこはま」に、横浜の民話挿絵連載開始。
以後15年間連載。
1987年(昭和62年).「横浜の民話」発行(横浜市PTA連絡協議)
1991年(平成 3年).「下総の民話」完成。(未発行)
1992年(平成 4年).千葉県大栄町にて個展。
1993年(平成 5年).香取神宮・宝物殿にて個展
1998年(平成10年).成田山新勝寺にて小幡春生美術展
1999年(平成11年).千葉県立美術館にて特別展(買い上げ)
2006年(平成18年).7月4日、横浜市三ツ境の病院にて入寂(享年86歳)
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随分と簡単な履歴である。特に画壇で賞を取ったという記録が無い。何々の絵画グループに入ったという形跡も無い。美術学校へ通ったという経験も無い。
では、その年譜の間にある春生の人生はどんなものだったのだろう。
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